みなさんこんにちはこんばんはゆきるりです。
今回は福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件について。
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件とは
1970年7月に起きたヒグマ事故。
福岡大学ワンダーフォーゲル部の学生3名が命を落とすという結果になりました。
今回はこの事件の概要を詳細な経過とともに追っていこうと思います。
7月12日~14日
福岡大学ワンダーフォーゲル同好会所属の学生A(20歳)、B(22歳)、C(19歳)、D(19歳)、E(18歳)の5人は
1970年7月12日9時に列車で博多駅(福岡県)を出発し、14日に新得駅(北海道)に到着。
同日14時半に芽室岳へ入山しています。
一行はそのまま芽室岳からペテガリ岳へと移動する予定でした。
7月25日 午後3時20分
25日午後3時20分ごろ、中間地点であるカムイエクウチカウシ山の九ノ沢カールでテントを設営。
※カールとは:山頂下方の山腹がお椀状に窪んだ谷のこと
7月25日 午後4時半
夕食を済ませ、部員全員がテント内に居たところで、テントから6~7mほど離れた場所にヒグマを発見。
ヒグマが居ない九州からやってきた部員達はさほど恐怖を抱かず最初は興味本位で様子を眺めていましたが、
ヒグマが荷物を漁り食料を食べ始めたため、隙をみて荷物を全てテント内に回収、
更に火を焚き、ラジオや食器を用いて音を鳴らすなどしていると30分ほどでヒグマは姿を消しました。
7月25日 午後9時
午後9時ごろ再び現れたヒグマに、テントにこぶし大の穴を空けられます。
身の危険を感じた部員達は2人ずつ交替で起きて見張りを立てましたが、ヒグマは現れませんでした。
7月26日 午前4時半
午前3時に起床し撤収の準備を進めている中、午前4時半に再びヒグマが現れ接近してきました。
テントへの侵入を試みるヒグマに対し、
部員全員で支柱などを握り、テントを引っ張り合い応戦します。
そうして5分ほど経った後にヒグマが居る方向とは逆の方向へと5人がテントから抜け出し、50mほどの距離を置きます。
ヒグマはテントを倒し、中の荷物を漁っては、集めた食料などを低木帯へと隠すという行動を繰り返していました。
※低木帯とは:高山帯のうち、低木が主に生育しており、また高木も幹が屈曲して低木化している地帯のこと。
リーダーであるAの指示で、サブリーダーのBと最年少のEの2人が九ノ沢を下り、ハンターの出動を頼むことになりました。
7月26日 午前7時
ハンターの出動依頼を目的として下山を進めるBとEは、
八ノ沢出合にて北海岳友会(北海学園大)のグループと出会い、救援要請を依頼します。
また残ったA、C、Dと合流を果たすためにコンロや食料、地図などを借り、
BとEは八ノ沢を登り始めます。
7月26日 午後1時
カムエク岳付近でBとEがA、C、Dの3人と合流。
また稜線上にて鳥取大、中央鉄道学園のグループとも会います。
※稜線とは:峰から峰へと続く線、山の尾根のこと。
稜線上の方が安全であると判断した5人は午後3時にテントを設営、この際テントを修繕しています。
7月26日 午後4時半
寝ようとしていた5人の元にヒグマが出現します。
5人は縦走路を50mほどくだり1時間半ほど様子を見ます。
7月26日 午後6時
5人は鳥取大のテントに避難させてもらうことを決定します。
稜線を外れ、九ノ沢カールを出発し歩き続けます。
7月26日 午後6時半
稜線から60mほどくだった辺りですぐ背後にヒグマがいることに気づき、全員が避難のため駆け下ります。
しかしEが襲われ、薮の中で悲鳴や格闘の音がした後に、
Eが足を引きずりながらカール底の鳥取大テントの方向へ向かっていくことを他部員が確認していましたが、
その後遺体で発見されています。
襲撃の後、リーダーであるAが集合をかけたもののCとEは集まらず。
Cは声のみ30mほど下から聞こえてきたものの、合流を果たすことが出来ず逸れることになってしまいます。
7月26日 午後8時
A、B、Dの3人は岩場に身を寄せ夜を過ごしています。
7月27日 午前8時
深い霧に包まれていたために、非常に視界が悪い状態で行動を開始した3人。
岩場からくだるとまもなくヒグマが出現します。
Aがヒグマを押しのけるように進むも、そのままカール底へとヒグマに追われていきます。
その後Aは遺体で発見されています。
残ったBとDはカールを避けながら八ノ沢に出て、そのまま沢をくだっていきます。
7月27日 午後1時
砂防ダムの工事現場に到着した二人は車を手配してもらいます。
7月27日 午後6時
中札内駐在所に2人は保護されます。
7月26日 夕方
またこの事件では仲間と逸れたCのメモが残されています。
鳥取大のテントに逃げ込もうとしたCは、夕暮れの中移動する最中でヒグマに追われることになります。
「15㎝くらいの石を鼻を目がけて投げる。当った。クマは後さがりする。腰をおろして、オレをにらんでいた。オレはもう食われてしまうと思って…一目散に、逃げることを決め逃げる」
どうにか逃げ延びたテントの中には誰もいませんでした。
「なぜかシュラフに入っていると、安心感がでてきて落ちついた。
それからみんなのことを考えたが、こうなったからには仕方がない。
風の音や草が、いやに気になって眠れない。鳥取大WVが無事報告して、救助隊がくることを、祈って寝る」
7月27日 早朝
テントの中で朝ご飯を食べ少し落ち着いたC。
「外のことが、気になるが、恐ろしいので、8時までテントの中にいることにする」
「また、クマが出そうな予感がするので、またシュラフにもぐり込む。ああ、早く博多に帰りたい」
7月27日 午前7時
握り飯を作り、テント内のシャツや靴下を借りて下山を試みるものの、
「5m上に、やはりクマがいた。とても出られないので、このままテントの中にいる」
「3:00頃まで…(判読不能)
他のメンバーは、もう下山したのか。鳥取大WVは連絡してくれたのか。
いつ、助けに来るのか。すべて、不安でおそろしい…
またガスが濃くなって……」
その後Cは遺体として発見されています。
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