【つまらない?】遊戯王アークファイブを当時見ていた者の感想と改善案まとめ【炎上/面白くない?】

遊戯王

乱入無し、省略無し、中断無しの1vs1

もうとにかくこれ。
乱入、中断、省略がとにかく多い。
また、一人vs集団のデュエルになると、

①集団側が全員同じモンスターを並べる
②一人側が高攻撃力のモンスターを出してそれらを一掃

これがめちゃくちゃワンパターンに行われていた。

寄り道せず、真っ直ぐ1vs1のデュエルをして欲しい。
デュエルよりも描きたいものがあるのか、
とにかくデュエル描写がおざなりだった。

エド風に言うなら、「デュエルの力」を信じて欲しい。
これは【遊戯王】なのだから。

アクションカードは「ドラベースのひみつ道具」的なお助けルールにすべき

批判が多かったアクションカード。
ただ、こうした試みはあっても良いと私は思う。

例えば、5D’sのスピードワールド2は本来のデュエルと異なるルールを追加するものだが、
大変魅力的で、「自分がWRGPに出場するなら、スピードワールド2に特化したデッキを組むだろうなぁ」と思わず妄想したくなるくらい好きな要素だ。

つまり、アクションカードという試み自体は最初から否定すべきでない、と私は考えている。
問題は、
ただフィールドにばら撒かれているだけ」という杜撰な仕様と、
なぜかデュエル展開に沿ったアクションカードを拾うことができる」というご都合主義を感じざるを得ない演出である。

これでは不満の声があがるのは当然。
デュエル内容もへったくれもない。

制作側もその不安定さは理解した上で、
序盤は「アクション罠」という、アクションカードを拾い得にしないバランス調整を行なっていた。

……が、そんな調整は秒で消え、
ピンチになったら、たまたまそれに適したアクションカードを拾うことができ、それを使ってピンチを回避」という流れがルーティン化していった。

これでは「脚本の都合」「身も蓋もない運ゲー」と言わざるを得ず、アクションデュエルの魅力は全く伝わらない。

さて、ここからは代替案である。

まず、アクションカードはあってもいい。

ただし、回数制限をつけるか、アクション罠を一定割合で出るようにすべき
だが、それだけでも不十分。結局運ゲーである。
ではどうするか?

ドラベースシステムを導入すべきである。

要はドラベースのように、

フィールドにばら撒かれる予定のアクションカードは3種類と決め、

それらのカード名と効果がデュエル開始時に公開される」ルールにすべきである

そして、互いのプレイヤーは一種類につき一枚までしか拾うことができない

これなら運ゲー要素は最小限になり、むしろ

今、『回避』を拾ってしまっていいのか?

いや、後々まで『回避』は温存すべきではないか」

「しかし、今『回避』を使ってモンスターを守った方が、盤面は不利にならないし…」

という具合に、アクションカードに関する駆け引きや戦略が生まれる。

アクションカードを拾う猶予時間はどのくらいにすべきか等、厳密に詰めるべきルールはあるが、
大枠のルールはドラベースシステムを参考にして良いのでは、と私は思う。

そうすれば、アクションデュエルもスピードワールド2のように
「これはこれで面白いじゃん!」というルールになり得たかもしれない。

脚本の都合でキャラの言動が突飛、矛盾すぎる

こういうストーリーにしたいから、このキャラにはこれを言わせる」という脚本の都合によるキャラ崩壊が多い今作。

素良の改心、シンジのダブスタはその代表的な例だろう。
細かいところまで見ていけばもっと多い。

そして、それが積み重なると次第にどのキャラにも感情移入できなくなっていく。
私は終盤はもはやデニスにしか感情移入出来なくなっていた。

デニスも怪しい発言はあったが、まあそれくらいなら他作品でもあるレベルだと思う。

ちなみにデニス関連で言うと、榊遊勝のデニスに対する「キミは負けたことがなかったからな」発言も凄まじい。

「拍手は勝者のためにある」というデニスの発言→遊勝「いや、そんな事はないさ」

と言う展開をやりたいために、

デニスに謎の「負けたことがない」設定を言葉で追加したのだ。

いやまあ、遊勝といた時は無敗だったのかもしれないが、
視聴者目線では敗北してるデニスしか見てないから、
「負けたことがなかったからな」には製作陣と視聴者の認識のギャップを感じ、作品に対する信頼性や集中力が削がれることとなった。

このようにキャラクターの言動が制作側の「やりたい展開」のためにとにかく捻じ曲げられる本作。
それを解決するには、

「このキャラはこの時何を考えている?」「どんな言い方をする?」というのをワンシーンワンシーン丁寧に考えて作るしか無い、と私は思う。

もっとテーマをシンプルに

アークファイブは特に中盤以降、テーマがぼやける。

エンタメデュエルでみんなに笑顔をもたらし、戦争を終わらせ、柚子を助け、みんなを助け、父さんを……

待て待て待て。
本当にそれは可能なのか。

デュエルで戦争を終わらせる?

…いや、出来る。
本来の遊戯王なら。

現実世界では出来ないかもしれない。
でもこれは遊戯王。
作り手に「現実? うるせえ! デュエルはすげえんだ! デュエルなら戦争だって終わらせられる!」という熱量があったなら、

恐らくその熱がストーリーにも乗り、半ば力ずくで戦争をデュエルで解決するというストーリーに出来たかもしれない。

ただ、上述した通り、
本作の場合は「作り手がデュエルの力を本気で信じていたかどうか」は疑問が残る。

デュエルのクオリティは上述した通り杜撰なもので、
更にデュエル外でもデュエルの扱いは軽視されている。
例えば、とある敵キャラが、「デュエルで負けたのに、デュエルディスクの転送機能を使って主人公サイドのキャラを拉致する」という展開がある。

当然見てる側は「え? じゃあ今までのデュエルなんだったん?」となる。
まさしくデュエルが必要無いのである。

杜撰なデュエルの質、そしてデュエルそのものの軽視。
そんな状態の本作で、「デュエルで戦争を終わらせることができる!」と本気で思うことができた作り手はどれほどいただろうか。

ストーリー終盤は、
「テーマを『デュエルで戦争を終わらせること』にしちゃったから、とりあえずデュエルで終わらせることにするか……」
というぼんやりとした着地にしか思えない。

ツッコミ所満載でもいい。
初代もGXも5D’sも、オカルト要素や超展開によるツッコミ所はあるかもしれない。
でも、作り手による「これが面白いんじゃあ!」という熱量をとにかく感じることが出来たし、
それが視聴者に伝わって、むしろそういった“粗”のような部分さえも愛されるポイントになっていた。

アークファイブはそういう意味で言うと、もっと“キャラへの愛”“デュエルへの愛”を感じられたらなぁ、と思う。

キャラの造形もストーリーの設定も、物凄くいいんだよ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました