神力とは?
読んで字の如く、神の力。
作中では「人の目が届かないところに存在できる力」と呼ばれ、
神仏などを敬うほどに蓄積していく力とされる。
よりわかりやすく言えば、「科学的に証明されていない力」と言ってもいいかもしれない。
逆に言えば時代が進めば進むほど、
様々な現象が科学的に証明されればされるほど、失われていく力である。
例えば、頼重が湖の氷を割る「諏訪の御神渡り」は、
現代では「昼と夜の寒暖差による氷の伸縮が生んだ亀裂」と証明されている。
あの時代に生きた人間にとって、御神渡りは神力が原因だが、現代人にとっては科学が原因なのだ。
このように、
科学的に証明できない力を「神力」と呼び、
科学的に証明できるようになると神力の定義から外れていくのだろう。
ただ、作中で「神力」を使って行えることの中には、現代の科学でも証明し切れていないことが多数ある。
朧げな未来が見えたり、
見えない存在が見えたり、
小指の先ほどの物を動かしたり、
少し運が良くなったり、
他人に注入すればその人間を狂わせたりなど。
これらの現象は「神力によるものだとしてもやり過ぎでは。まあ漫画だから良いのか?」と思う人もいるかもしれないが、
なんてことはない。現代の科学力が追いついていないからそう見えるだけなのだ。
いわば、諏訪の御神渡りを見て「こんなものは神の力でしか起こせない!」と思った昔の人と同じ。
我々の時代より遥か未来に生きる人間からすれば、
「あー、未来が見えたり、見えないものが見える人いるよね。まあ、西暦200000年に生きる私たちからすれば、それも○○で科学的に説明ついちゃうけど」
といった感じになるのだろう。
なお、神力による現象の中でも、
現代の科学で証明できない上記の現象に関しては、「神々しい演出(オーブのような描写)」がなされており、
もしかすると「現代の読者にとっても『神力』同然のため、そういった描写にしている」のかもしれない。
神力はどうすれば身につく?
心の状態に左右される。
神の如く泰然とすれば神力は寄り付き、人間臭く動揺すれば離れていく。
また、神々しく振る舞うなどして、相手を畏れさせたり、皆の信仰を集めることでも神力は高まる。
更には、呪いによっても集まる。
足利高時は「自分から数えて三代後の子に天下を取らせよ」と言い残し自害をした結果、足利尊氏に強い神力が宿るようになった。
なお、神力は使いすぎると身体を蝕んでいくことが示唆されている。
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