【フワちゃん】やす子オリンピックなのに、やす子が予選敗退することなどあっていいのか?

感想

経緯

やす子氏「やす子オリンピック、生きてるだけで偉いので皆優勝でーす」

フワちゃん「お前は予選敗退でーす」

やす子オリンピック、生きてるだけで“優勝”だった

ありがとう、やす子───────

フワちゃんのアカウントから、【かなり強めの引用ポスト】がやす子氏に向け飛ばされた、今回の件。

その後のフワちゃんの反応的に、

最近よくある「乗っ取り被害」でもなければ、
芸人同士のノリ」というわけでもない事がうかがえる。

なお、フワちゃんは「やす子氏本人に直接謝罪をする」と投稿しており、

その後フワちゃんから「やす子氏の投稿にアンチコメントがつくならこんな感じだろう、と思いあのような投稿をしてしまった」との釈明があった。

 

疑問

冷静に考えて、
やす子オリンピックなのに、やす子氏が予選敗退をすることなどあっていいのか?

まず「やす子オリンピック」という大会について考えてみる。

大会主催のやす子氏は「生きているだけで偉いから全員優勝」と大会のルールを語っている。

つまり、やす子オリンピックは「生きているかどうか」が評価の軸ということがわかる。

では死んでいたらどうなるのか?

フワちゃんの投稿内容も恐らく、この点に注目し
「生きていれば優勝、ということはその逆なら…」という発想のもとに生み出されたものなのだろう。

だが、やす子氏の投稿内容をよく見て欲しい。

「生きていれば優勝確定」ということが示されているだけで、
「死んだからといって予選敗退」などと言ってはいないのだ。

死んでも「予選敗退」かどうかはわからない。

いや、むしろ

「生きているだけで『偉い』ので、優勝でーす」

という発言をみるに、

例え命を落とした者でも、何かしら『偉』ければ、優勝の可能性はあるように思える。

つまり、やす子オリンピックの真の評価軸は、「偉いかどうか」だ。
そこに生死の垣根はない。

生きているだけで偉いから、結果的に優勝するだけで、
「死んでも偉い者」は優勝するのだ。

更に深掘りすると、
『生きた』経験がある者は皆、「偉かった時期」がある

ゆえに、故人も皆偉い、という事が言えるかもしれない。

卑弥呼も、ザビエルも、私の祖先も、あなたの祖先も、100歳を超えた人間も、生まれてすぐに命を落とした人間も、
故人含め『生きた者』は皆偉かった。

まさしく、全員がやす子オリンピック優勝なのだ。

したがって私の出した結論は、
やす子オリンピックに予選敗退など無い」ということだ。

当然、やす子氏だけがその例外になることもない。
やす子氏も、これを読んでるあなたも、私も、
フワちゃんも、皆が優勝なのである。

ただ、これはあくまで私がルールをあれこれ推測しているだけであり、
大会主催者のやす子氏が「これは予選敗退かな」と定める基準があるかも知れない。
この辺りに関しては、大会本部からの通達を待ちたいところである。

私は生まれてから「金メダル」や「一等賞」とは縁遠い人生を送ってきたが、
やす子オリンピックで初の金メダルを取る事が出来て、非常に嬉しい気持ちだ。

オリンピックというからには恐らく四年後もあるはずなので、
四年後も金メダルを取れるよう懸命に生きたいと思う。
それでは今回の記事は以上。

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