小・中で計三年程いじめられた者です。
教室通いや別室登校、フリースクールや不登校向けのイベント参加等を経て、色々な生徒と出会い感じたのは以下の三点。
①いじめられる側には「要因」がある
②だからといって、いじめていいわけでは無い
③いじめは無くならない
いじめられた経験
私はいじめられていた中学時代、転校をしました。
しかし、転校先でも馴染めず、いじめられてしまいました。
私自身が抱える「要因」が変わらなかったから、というのが大きな理由だと感じています。
要因を見つめ直さず、環境だけ変えても、
同じ事の繰り返しになる可能性が高い。
社会というのは「いじめ」が起こるもの。
そして多くの場合、いじめに対して厳しく罰されることはありません。
つまり、「集団が存在する限り、いじめは起こるもの」として自衛する必要があります。
変わらなくていいのか
いじめに遭った時、
「あなたは悪く無い。何も変わらなくていい」と言ってくれるAさんという大人がいました。
しかし、「変わらなくて良いんだ」と教室に飛び込んでも、そこに居る人達は、Aさんではありません。
Aさんがどれだけ優しくて寛容でも、私自身が変わらなければ、いじめられる可能性に変化はない。
「いじめられても良い!ありのままの自分で生きる!」という決意を固めているのであれば話は別ですが、私の場合はいじめられたくありません。
キツいからです。
いじめられた経験の詳細
イジメに遭っている時は本当にキツいです。
学校にいる時は常に苦痛で屈辱で、その場その場を最小限の被害でやり過ごす事に、全てのエネルギーと感情を注がなければならない。
やり過ごす事に全てのエネルギーを注がなければならないから、成績もどんどん落ちる。
つまり、「今」も「未来」も殺されていく。
みんなには嫌われている「厳しい先生」が担当する授業の時だけは、気持ちが楽でした。
逆に、先生が居ない「休み時間」は、一刻も早く終わってくれ、という想いでいっぱいでした。
家でも、
いじめられていることを打ち明ける前は、
「親の期待を裏切れない」
「親の前では、うまく学校生活を送っている子供でいなきゃ」
と重圧がかかっていましたし、
打ち明けた後は、
「うまく馴染めない子供で申し訳ない」
「クラスに復帰するのが親は一番楽なのはわかるけど、それが出来なくて申し訳ない」
「親に負担をかけさせているのがキツいし申し訳ない」
という想いで、やはりキツかったです。
同じ境遇の、別室登校やフリースクールの生徒達と話す時だけは気が楽でした。いじめの辛さをわかっている人ばかりなので、優しかった気がします。
ある時、私へ加害してきた生徒達から、反省文を提出されたことがありました。
当時の担任が書かせたものです。
一文字も読めませんでした。
またある時、担任が、加害生徒達を連れて家の前まで来たこともありました。謝罪をさせるためです。
私は対面を拒否しました。
いじめは無くならない
いじめは無くならない。
生き物なので、他者を淘汰し、自分がより良いポジションに就こうとする本能は必ず存在する。
つまり、社会で生きていくなら、「いじめは起こるものだ」という前提で、
いじめられにくくなるよう、自分が抱える「要因」を見つめ直すのが有効だと思います。
これは、いじめ対策だけの話ではありません。
仮にいじめの無い集団であっても、
「要因」のせいで友達が出来ないこともある。
「そんなの気にしないでいい!キミはキミのままでいいんだ!」と言ってくれるAさんは、とても優しいとは思いますが、
そうして背中を押された私が飛び込む「教室」という環境には、Aさんは居ません。
現実的に「いじめ」というものが無くなる訳ではないのだから、
社会に合う形にある程度自分を変えていくのは、一つ選択肢だと思います。
いじめは許されない
被害者側にどんな要因があっても、いじめは許されない。
もしいじめが起こったら、
犯罪行為として処理したり、
加害者側を隔離するなり、
とにかく加害者側に対処すべきだ……というのが私の考えです。
コメント